1日目 午前3時25分  ドアを開けた瞬間、そこは隣の部屋だった。開けたはずの扉は閉めた覚えがないのにそこにはもうなかった。先ほどの部屋とは対称的に、今度の部屋は床も壁も天井も真っ白で先ほどの部屋のようにどのくらい広いのかわからなかった。  部屋に入った所から10メートル程先に白いテーブルがあり、男が手帳のような物に何かを書いていた。テーブルも椅子も真っ白で、男が座っていなければ、そこにテーブルと椅子があることに気付かなかっただろう。 「こんにちは」と僕はとりあえず挨拶をする。 「おぅ」と無愛想な挨拶が返ってくる。  側頭部にラインの入った坊主頭。細く、吊り上った眉毛、眉間に皺を寄せた鋭い眼光。頬と耳に小さな切り傷のような傷跡。アゴには無精髭。年齢は30代くらい。アロハシャツを着ている。休日のヤクザを絵に書いたような男だ。体格はガリガリ。身長は僕と同じくらいだが、僕より軽いんじゃないか? と思うほど病的に痩せている。そして、最大の特徴は、目付きがヤバい。ヤクをキメて、奇声を発しながらナイフを振り回す。映画に出てくるヤクザならそんなタイプだ。しかも、何やらイライラしている様子…… 「えっと、小林聡、25歳、ニートです……あなたは……」  男の向かいに座りながら、差しさわりの無い自己紹介をする。 「加藤健二(かとうけんじ)、30、ヤクザ」  喉を焼かれたようなしゃがれ声で自己紹介が返ってくる。やっぱりヤクザだった。  25年間生きてきた中でこれほど威圧感を発する生物と対峙したことはなかった。 過去最狂の生物を目の前に僕は何も言い出せず、ただ、沈黙することしかできなかった。 「じろじろ見てんじゃねぇ、殺すぞ」 「はい、すみません!」  怒鳴られたわけでもないのにドスの効いた声に驚き、思わず後ろを向いてしまう。本当に殺されてしまう気がした。本気で怒鳴られたらそれだけで死んでしまうんじゃないだろうか。 「なんで後ろ向いてんだよ、それじゃ話ができねぇだろ、捕って食おうってんじゃねぇんだ、こっち向けよ」  いや、あんた、今『殺す』って……と心の中で突っ込みを入れ、恐る恐る振り返る。 「おめぇ、何しにここに来た?」  相変わらず、眉間に皺を寄せて話しかけてくる。この男は元々、こういう顔で、こういうしゃべり方なのだろうか、怒ってるわけでもイライラしてるわけでもなく。 「えっと、閻魔様に言われて、協力者と一緒に犯人を見つけ出せと・・・・」  説明しながら、恐ろしくなってくる。僕はこの人と一緒に犯人を探すのか? 1週間ずっと? 二人きりで? 地獄に行く前にもう1回殺されてもおかしくないと思う。この男に殺されなくてもストレスに殺されてしまいそうだ。 「あぁん?おめぇが俺を殺した犯人を一緒に探してくれんのか?なんで?」  閻魔様から僕の話を聞いていないらしい。それもそうか、協力の話はさっき決まったことだ。 「えっと、加藤さんを殺した犯人と僕を殺した犯人は同一人物の可能性が高いから二人で犯人を捜せと……」  『加藤さん』で大丈夫だよな?それ以外に呼び方ないもんな? そんなことを本気で心配しながら説明を続ける。 「へぇ、どこで殺された?」 「駒沢公園の近くです」 「駒沢、公園っと……」  テーブルに突然表示されたディスプレイに地図が表示され、加藤さんが駒沢公園を検索する。googleマップみたいだ。しかし、ズームになるとそれはあまりに鮮明で、よく見ると木々が風に揺れているのに気付いた。衛星写真、いや、動いているから動画だ。リアルタイムなのだろうか。 「すげぇだろ、で、どの辺だ?」と自慢げに加藤さんが言う。 「たぶん、この辺だと思うんですけど……」 操作方法はgoogleマップと同じようだ。探していると倒れている人影を発見する。僕だ。 「ふぅ〜ん、まだ誰にも気付かれてねぇな、もういねぇとは思うけど、一応近くに犯人っぽい奴がいないか探してみるか……」 加藤さんは慣れた手付きで画面をスクロールし始める。 「もう30分は経ってるからなぁ……」と僕は呟く。 「はぁ?! 30分?! 死んだら速攻ここに来てりゃ犯人わかったかもしれねぇだろ。アホか、殺すぞ!」  突然の罵声に僕は頭を庇い、目を瞑る。ついでに泣きそうになる。 「あんの、糞ガキャぁあ!本当に俺を天国に行かせる気あンンおおかァア?!」  どうやら、僕にではなく、閻魔様にお怒りのご様子。それでも大きな声は出さないで頂きたい。死ぬかもしれないから。 『あ〜腹減った。牛丼屋でも行くか〜』  突然ディスプレイから若い男の声がした。 『松と吉どっちにしようかなぁ、て、ん、の、か、み、さ、ま、の〜』  どうやらディスプレイに映っている男の声のようだ。 『げ、酔っ払いかよ、こんなとこで寝てんなよなぁ……』    男が歩くとそれに合わせて、男を中心に画面も動く、追尾機能まであるのか。 『様子がおかしいな? 本当に酔っ払いか? 声かけたほうがいいのかな? えっと、大丈夫ですか? でいいのかな?』  男が僕の死体の側でどうしたものかと立ち竦んでいる。 「お?第一発見者さんか」と加藤さんが向こうからディスプレイを覗き込む。 「そうみたいです。それにしてもすごいですね、自動追尾機能までついてるなんて」と関心して言う。 「はぁ?驚くとこそこかよ?普通は心の声が聞こえる方を驚くと思うけど、変わってんなぁ、おめぇ」  は? 『心の声』? ぶっ飛び過ぎてて、理解の範疇を超えそうになる。 「まぁ、他にもすげぇ機能はあるんだけどよ、っつーか、こいつ早く通報しろよ、殺すぞ」と加藤はニヤニヤしながら画面の男に文句を言う。 『うわ、うわ、うわぁぁぁ! 110番?! いや、119番か?』 「お、やっと通報しやがった。じゃあ警察が来るまでいいもん見せてやるよ」  加藤はそう言うと、別のウィンドウでまた地図を開き、検索を始めた。 「ラ、ブ、ホ、テ、ル……っと」  僕は正直、この後、僕の死体がどうなるのか続きが気になったが、加藤さんには何も言えないので黙って見ていた。というか、今、なんて検索した? 「この派手な建物がラブホテルな、で、高さは3階だと10メートルくらいか?……っと」  建物以外が薄く白みがかり、建物の内部の構造が見えるようになった。透視機能までついてるのか、それもサーモグラフみたいな物じゃなく、はっきりと見える。 「チッ、この階の客、誰もヤってねぇな、上の階は……っと」  加藤が覗きの物色を始める。 「いや、覗きとかダメでしょ」  つい、思ってる言葉が出てしまった。加藤さんに口答えしてしまった。殺される。 「チッ、つまんねぇ奴だな、お前。まぁ、これが理由でギリギリ地獄行きとか洒落にならねぇからな、1週間くらい我慢すんべ。天国行きゃ、イイ女とヤリたい放題だしな、ここで働くことになったらあの糞ガキを犯しゃいいんだべ?」と笑いながら答える。  良かった。笑ってる。初めて笑顔を見た。鋭い目付きが三日月形に変形して、不気味な笑顔だけど……前歯が無いのがチャームポイントかな。あと、あんたは地獄行き以外ないだろ。あ、犯人見つけたらこんな人でも天国なのか。絶対にこのシステム間違ってるよ。と心の中で悪態を突く。  加藤さんの屈託の無い笑顔を見たせいか、少し、加藤さんにも慣れてきた気がする。口が悪くて、外見はアレだけど、はしゃいだり、いたずらしたり、少なくとも裏表は無さそう。良く言えば素直で、もしかしたら面倒見の良いタイプなのかもしれないと勝手に自分の中でキャラ付けする。 「それで、今後の作戦とかはどうしましょう?」少し緊張しながら加藤さんに提案する。 「あ?警察が犯人見つけて、俺が殺す! じゃ駄目なのか?」  物騒過ぎる。そして、何より、この人、自分で見つける気があまり無さそうだ。 「いや、僕たちも独自のルートで調査しましょうよ。せっかくこんなSFチックな機材もあるんですし」  自分で言ってて、『独自のルートで調査』ってなんか探偵っぽいな、と思う。 「とりあえず警察が容疑者絞って、俺らがそいつの心の声聞くくらいでいいんじゃねぇか? 警察が見当付かないもんを俺らが見つけられるわけねーべ? あいつらウゼェけど、優秀なんだよ。優秀だからウゼェんだけどな」  冗談交じりに言っているが、確かに一理ある気もする。危機感があまり無いのは能天気なのか、警察を信頼しているのか。 「じゃあ、しばらくは様子見ですか? 警察の情報とかをこの端末で覗きながら」 「まぁ、そんな感じでいいんじゃねぇか? それより、今日は朝から行く所あっから、おめぇ付き合え」  想定外のお誘い。明るくなったら現場とか、捜査本部の会議とか覗こうと思ってたのに。 「はぁ、どこ行くんですか? まさか、誰かを殺しに行くんじゃないですよね?」 加藤さん相手に冗談を飛ばせるなんて、段を飛ばして加藤さんに慣れている気する。あっちは冗談だと思ってないかも知れないけど。 「遺書置いてくる。事務所に」  想定外な目的と、ある程度覚悟してた場所を告げられて、僕は少しの戸惑いと大いなる不安を感じて、家が恋しくなった。