1日目 午前9時 「遺書置いててくる。事務所に」  今までの加藤さんからは想像も出来ない神妙な顔を見て、僕はそのことについて触れる事ができなかった。昨日今日知り合った人間に『遺書』をテーマにした会話ができる程、僕は無神経ではないし、何が加藤さんの逆鱗に触れるかの判断を間違えれば大変な事になる。普通に会話できるようになったとは言え、加藤さん相手には慎重にならざるを得ない。  結局、昨日の夜は、現場は暗くてよく見えないし、加藤さんが殺された現場も調べて、覗いてみたが、同じようなもので、場所は新宿の繁華街、被害者がヤクザなので、ヤクザ同士の揉め事かと思われたらしい。ということがニュースやネットの情報でわかったくらいだった。  警察の資料も探そうと思ったが、透視機能があるとは言え、どこにあるのか検討も付かず、あったとしても書類が重なっていた場合、高さを1ミリ単位で調整して透視するのか? と気付いて諦めた。  その後はネットや朝のニュースで適当に事件についての情報収集を続けていた。 「んじゃ、行くべ」  唐突に加藤さんが席を立つ。  一瞬、どこへ? と思ったが、加藤さんが向かう先を見て理解した。いつの間にか、この部屋に入って来た時に使ったドアが現れている。午前9時になって閻魔様があの部屋に来たんだろうなと思いつつ、加藤さんの後を追い、真っ暗なあの部屋へ入る。 「やぁ、昨日はすまなかったね。2日連続で深夜に呼び出されたもので、つい、仕事が適当になってしまったね。本当に申し訳ない。ボクはあの後、猛省して、心を入れ替えて今日という日を迎えた。安心してくれていい。あれから2人で作戦会議はしたのかい? 犯人の目星とまでは行かないまでも、捜査方針くらいは決まったのかな?」  ニコニコと上機嫌な閻魔様が机の奥の暗闇から姿を現す。今日は左耳の上に向日葵のデザインのヘアピンを挿し、もしかしたら化粧も少ししているかもしれない。格好も昨日のパジャマ姿とは打って変わってスーツ姿である。昨日は机越しでわからなかったが、身長は145センチくらいで、かなり小柄で華奢である。  改めて、かわいいなぁ、癒されるなぁとほっこりした気持ちになっていると横から突然、 「うぜぇ、殺すぞ」  閻魔様を見た途端に機嫌が悪くなった加藤さん。少女の笑顔で心が癒されるのは人類共通ではないらしい。それにしても、少女に対するあまりにも容赦のない言葉に改めて加藤さんに驚かされる。 「昨日の夜、何デ小林が来てすぐ、俺に知らせなカった? あァん? 殺すぞ!」  怒鳴ってはいないが、所々、声が裏返っている。これは割りとマジで怒っていそうだなと少しずつ加藤さんの怒りゲージが見えるようになって来た自分がいる。 「ルールだよ。来訪者が来た場合、ここに送られて来た書類を全て読み上げ、ここのシステムを解説し、親身になって来訪者の行き先や未練について相談する。その間、ボクは途中退室は許されない。それがここのルールだ。」  そう言いながら、自分の腰より高い椅子によいしょと腰を掛け、右手で髪をかき上げる。  僕は、昨日の面接の様子では、それほど厳密なルールではないんだろうなあと思いながらも、それは言わないでおく事にした。 「それに、ボクは基本的には、来訪者の未練解消に出来る限り協力しなければいけない立場だが、今の君は例外だ。犯人を自分の手で殺さないと解消されない未練なんて、協力できるわけがない。君はまず、犯人が捕まれば良いくらいに改心するのが先だ」  額に青筋を立てる程怒っている加藤さん相手に物怖じしない閻魔様に関心を通り越して尊敬の念を覚える。 「く、る、し、メ、テェ、こ、ろ、す。ダァァァァァ」太腿をバリバリと掻き毟りながら一文字ずつ、怒気を込めて加藤さんが言う。 「話にならない。もう1日部屋で一人で考え直し給え。今度は何も無い、狭い、暗い、臭い部屋でね。1日と言わず、君が泣いてここから出してくれと懇願してくるまで何日でも閉じ込めるのもいいな、そのまま1週間が過ぎたら褒めてやるよ」  閻魔様の方も大分ヒートアップしてきた。これはそろそろ止めないとマズい。 「あのぅ、閻魔様、僕からもお話があるんですが、よろしいでしょうか?」と口を挟む。 「なんだいっ?」眉を吊り上げた閻魔様がすごい勢いでこっちを向いて言う。  あぁ、心温まる笑顔を見せてくれた僕の女神様はどこへやら…… 「えっと、今日ここに来た本当の理由はですね、加藤さんが遺書を残したいそうで、それで、現世に届ける手続き? のようなものをですね、はい。、昨日の夜、手帳に一生懸命書いてたんですよ。加藤さんにも大事な人がいるんだなあって……その遺書を渡せば少しは気が晴れて殺意も薄れるんじゃないかなぁなんて……」  二人の間に立ち、足が竦む。我ながら情けない。 「それは無理だ」と閻魔様。 「ヌあぁぁあアアアあぁあぁァんんンイェェェェェェエェエエエェ??!!!」と加藤さん。  巨大な鳥獣の断末魔のような声に、僕は思わず加藤さんと距離を取る。    耳を塞ぎながら閻魔様が説明を続ける。 「ここで書いた遺書は現世に届けることはできない。こっちの物は極力、現世には持ち込まないのがルールだ。遺書を残したいなら、現世に行って、現世のペンで、現世の紙に書いて帰ってこい。君達がここに来た時に持ち込んだ物は、その時点でこちらの世界の物だ。ボールペンのインクの一滴ですら現世に残して来て見ろ。とんでもない事になるぞ」  どうやら、遺書を残すこと自体は可能なようだ。だったら最初からそう言ってくれればいいのに。そうすれば加藤さんの鳴き声は聞かずに済んだはずだ。 「とんでもない事ってどんな事になるか教えて貰えますか?」と尋ねる。 「ルールを破った奴は地獄行き、ボクは始末書を書かされる」  地獄行きは嫌だけど、そこまでとんでもない事ではない気がする。 「じゃあ、現地に行く手続きをお願いします。良かったですね、加藤さん、遺書残せますよ」と尚も顔を真っ赤にして怒っている加藤さんをなだめる。 「駄目だ。許可できない」と閻魔様。  スゥゥゥゥゥ〜〜〜〜〜〜っと隣で加藤さんが大きく息を吸い込み始めたので、僕は慌てて耳を塞ぎながら大声で閻魔様に尋ねる。 「なんでですか?!」  大きな防音用の耳当てを装備した閻魔様が答える。 「物を持ち込む以外にも禁止されている事がある。現世の人間に危害を与える事。自分の正体を現世の人間に明かす事。幽体の悪用。他にもたくさんある。これらのルールが守れそうにない来訪者を現世に送る場合、最低でも一人、連帯保証人として別の来訪者を付き添いにする必要がある。加藤が行くなら小林君、君もセットで現世に行って、加藤がルールを破ったら、君も仲良く一緒に地獄行きだ。それでもいいなら許可する」 「それでいい」  何故か加藤さんが承諾する。 「じゃあ、詳しい説明に入る」  何故か閻魔様が話を進める。 「ちょ、ちょっと」 「今回は生身の肉体をこちらで用意する。必要性が認められないため、幽体化は出来ない。先述したルールを遵守する事。遺書を残したら速やかにボクに連絡する事」  閻魔様は耳当てに手を当て、聞こえない振りをしながら早口で説明を始める。 「ねぇ、ねぇってば」 「連絡用にスマホ以外の君達の持ち物はボクが預かろう。加藤が財布と手帳とボールペン。小林君は財布だけだね」 「聞いてくださいよ!」 「スマホからはsimカードを抜いてある。以前、うっかり知人に電話した馬鹿がいてね、死人から電話が来て大事になりかけた。電話帳等のデータは残ってるが、電話もメールもボクにしか繋がらないようになっている。ボクと連絡を取りたい時は君達のスマホから連絡してくれ。番号はなんでもいい。全部ボクに繋がる」 「もう嫌……」  加藤さんがルールを破らないわけがない、この現世行きがイコール、地獄行き決定だ。 「スマホの紛失にはくれぐれも注意しろ。遺書を残したら速やかにボクに連絡しろ。説明は以上だ。質問は無いな?」と閻魔様が最終確認。 「無い」と加藤さんが即答。 「それではいってらっしゃい」 『コーーーーーーーーンッ』と小気味の良い判子の音。  同時に僕は平衡感覚を無くし、目の前がくらくらすると思うとすぐに真っ暗になった。 「はぁ〜、やっといなくなった。あと6日もあいつの相手をするくらいなら始末書の方がまだマシだよ。小林君には悪いけど、小林君の未練が解消されるのも期待薄だし、ちょっと早く地獄に行くだけだと思って諦めて貰おう。南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…南無…  その次は、軽い吐き気と、強烈な睡魔に襲われる。閻魔様の念仏を聞きながら、僕の意識は完全に闇に溶けて行った。